kazublog50’s diary

人生1回

人生という名のゲームの憶測

人生という時間の中に2者に分かれるあるひとつの問題がある。

それは、神様はいるのかいないかである。

野球の神様

学問の神様

恋愛の神様

神様という例えば数百通りある。

 

僕の神様がいるかいないかの現段階の答えは、

「どっちでもいい」である。

神様いるかもしれないし、いないかもしれない。

ただ、そんな中で1つ感じたことがある。

それは、自分の考えがレベルアップした時に、

チャンスは必ず与えられる

ということである。

行動だって、実績だって考えがないと出すことはできない。

「とりあえず、行動する」という事でさえ

行動しないことには始まらないという考えがある。

つまり、すべては思考の上に成り立っているのである。

 

最初の神様がいるかいないか問題で、

神様がいるのだとすれば、それは、

人間的成長無しに神様はチャンスは与えてくれないということである。

たまに性格悪そうな人がチャンスを掴んでいるが、一見悪そうなことはしているが、思考の成長があったからこそチャンスを与えているのだ。

その人が、長期的にみて、幸せかどうかとか、

地獄を見るとかそういう話ではなく

その一瞬、その時に成長がみられたから与えられたということである。

 

逆に、神様なんていないという人は

①結局自分次第という人と

②人生上手く行かなくて疲れちゃった人である。

①は、僕が話した事とほぼ同じであるが、

②に関しては、思考が成長していないのだ。

ただそれだけである。

 

野球に例えていうのであれば超一流まだいくと、

インパクトの当たる瞬間や、

構えのバッティングフォームなど、

根本の部分は、大体一緒になるのだ。

これは、メカニクス、原理原則そうなるという考えが研究でわかっていることである。

仕事に関しても同じである。

人間的な個性があったとしても、人との接し方や、稼ぐための思考は一流まだいくと大枠で同じであるのだ。

天才とは、そこから少しずらして物事を成功している人のことである。

 

そんなことを思った昼時であった。

人間的成長無くしてチャンスは来ない。

 

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