kazublog50’s diary

人生1回

期待値を追いすぎて罠に落ちた僕

期待値という概念一度説明しよう。

自分が投資したお金は時間に対してどれくらいの可能性でそれ以上の見返りが帰ってくるのだろうかというデータである。

期待値を知らずとも、人は勝手に自分の中に期待値を作って動く人間である。

そして僕も同じように期待値を元に動いていた人間である。

そんな僕が、陥った罠を今日は話そうと思う。

追加の間、友達がバーに行こうと誘ってくれた。

そこのオーナーは、年収で億を稼いでいた敏腕の経営者で僕に対して、何か一つでもヒントになるきっかけがあると思いその友達のご好意で誘ってくれたのだ。

しかし、僕は最初判断が遅れた。

基本即OKである自分が遅れた理由は、期待値で動いたからだ。

 

僕はまだ金を稼げていない上に突出した能力も発揮できていない自分で、

その社長とは立場が違いすぎて行く意味あるのだろうか、、と考えてしまった自分がいたのだ。

 

友達は僕の親友であり、友達の中でも僕と言う人物をよく見ている、少ない友達である。

そんな友達は、僕の一瞬の遅れを見逃さなかった。

「お前バリ言い訳するやん」

そう言われた一言で、ハッとした。

そう、何を隠そう全て言い訳だったのだ。

 

まだ、目標を追っている1人間に、期待値などないのだ。少しのきっかけ、少しの可能性があるのならば。もっと言えば少しの可能性もなくても行くと言う選択肢意外ないのだ。

そんな簡単なことも知らないうちに忘れていた。

僕は、まだ仕事を与える立場ではなく、仕事をもらう立場である。

だからこそ、出来ないことは全て言い訳なのだ。

期待値で動いているような、若者に

大人は可愛いと思うであろうか?

 

もちろん実績は必要だ。

この世界実力と結果が全てであり、それ以外評価されては、行けない。

しかし、僕は実力と実績があるのに、期待値頼りの行動をしてチャンスを逃しているひとを幾度となく見てきた。

そんな簡単なことを僕は忘れてしまったのだ。

 

昨日の投稿にも話したように、依存先の根源は誰かの幸せのためにが僕の中で鉄則である。

 

大事なことに気づかせてくれた友達

ありがとう😭

 

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